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13-2.文学⚠️⚠️⚠️⚠️
・_______ (940ごろ~1025年)
ガズナ朝のイラン系拝情詩人。ペルシア文学の最高傑作 『_______』完成させた。
・_____ (1048~1131年)
天文学者としても有名。 『___________』が代表作。
・『______』
説話文学が集大成されたもので, 美しい姫君がハールーン=アッラシードに語るという形式をとっている。マムルーク朝末期に現在の形になった。
13-3. 美術
ウマイヤ朝期に_______の先駆が見られる。その後, ベルシア起源の___________ が中国絵画の影響を受けて発展した。
13-4. 建築
・ウマイヤ朝期… ウマイヤ=モスク (ダマスクス) , 岩のドーム (イェルサレム) 。
・ナスル朝… アルハンブラ宮殿 (グラナダ)

第6課 イスラーム世界 文化史   Evagreen

7-9.国際法と自然法
法学の分野では,国際法および自然法の理論が体系化された。
·_____(1583~1645年)
オランダ人法学者。著作『海洋自由論』で,貿易·航海の自由を説いた。三十年戦争の惨禍を見て,国際法の必要性を主張した。主著『戦争と平和の法』。

文化史 第13課 ウィーン体制   Evagreen

7-8.政治·経済思想
7-8-1.イギリスの政治思想
·_____(1589~1653年)
チャールズ1世時代の代表的政治思想家。王権神授説を唱えた。
·_____(1588~1679年)
ビューリタン革命中,フランスに滞在した。その際,王権を擁護する『リヴァイアサン』を著した。ただし,王権神授説ではなく社会契約説を根底として万人の万人に対する開争」を防ぐために,王の専制が必要と説いた。
·_____(1632~1704年)
啓蒙思想の影響を受け、名誉革命の理論づけとして社会契約説を主張した。代表作は『市民政府二論』。政府が国民の生命や財産を侵害する場合には,社会契約違反として国民は革命を起こして政府を取り替える権利(革命権)を有するとした。

文化史 第13課 ウィーン体制   Evagreen

7-3.建築
パロック建築は17世紀,ロココ建築は18世紀に流行した。
フランスのヴェルサイユ宮殿(1682完成)は,バロック建築の代表建築。
ベルリン郊外のサンスーシ宮殿,ウィーンのシェーンプルン宮殿はロココ建築の代表建築。

文化史 第13課 ウィーン体制   Evagreen

◉海路交易
海路交易に従事したアラプ人やイラン人は「タージー(大食)」と呼ばれた。特に最大貿易港の広州には_⚠️と呼ばれる外国人居住区や,貿易を監視する税関である___が設置された。唐末には,黄巣の乱で広州が破壊されるなど唐の衰退で朝貢貿易が不振になり,ムスリム商人もマラッカ海峡まで後退したため,中国商人が自ら南シナ海まで出向いて西方との交易に参加するようになった。このときに使われた船が_____という三本マストを持つ独特なスタイルの木造船である。このように唐の民間貿易が活発になったことで,日本ではわざわざお金をかけて遣唐使を派遣する意義が薄れ,遣唐使の派遣が中止になった。

第2課 東アジア史2(隋唐~宋) 文化史   Evagreen

○商業の発達
◉国内商業
国内商業に関しては,唐の初期までは都市内部の「_」と呼ばれるエリアに商業活動が限定されていた。商業活動の発達とともに市の制度が崩れ、都市の外部や交通の要所などに「__」と呼ばれる新たな小規模商業エリアが生まれた。商業活動に当たって、商人たちは「_」などの同業組合を結成した。
◉貨幣の流通
高祖__は漢以来の___を廃して____を鋳造し,これは唐代を通じて広く流布した。さらに,遠隔地交易の発達や両税法の導入をきっかけに,9世紀初頭には_⚠️と呼ばれる送金手形制度が生まれ,宋代·元代を通じて紙幣の原型となっていく。
◉陸路交易
ササン朝·ウマイヤ朝と中央アジアで国境を接したことで,陸路による東西交易が活発化した。西域の馬と中国産の絹や茶を主に取引し,ソグド人が中継商人として活躍した。ササン朝滅亡時にはイラン人が多く長安に移住し,イラン系風俗が流入した(唐三彩など)。

第2課 東アジア史2(隋唐~宋) 文化史   Evagreen

○その他の外来宗教⚠️
◉__(ゾロアスター教)
発祥はイラン。世界を善神アフラ=マズダと悪神アーリマンの対立でとらえる善悪二元論と,火を崇拝することが特徴。主にソグド人やベルシア系の商人が信仰し,漢人にはあまり広まらなかった。会昌の廃仏によって衰退した。
◉__(ネストリウス派キリスト教)
431年のエフェソス公会議以降異端として認定されたため、主に中東やイランに拡大する。太宗の時代に伝来し、漢人の間ても信徒を増やした。各地に波斯寺·大秦寺などの名称で寺院が建てられた。会昌の廃仏で衰退。
◉___
発祥はイラン。仏教·キリスト教·ユダヤ教などさまざまな宗教の要素を混ぜている。マニ教を国教とする____との関係を良好に保つために則天武后によって保護された。会昌の廃仏で衰退。

第2課 東アジア史2(隋唐~宋) 文化史   Evagreen

○仏教⚠️
唐代にはシルクロードや「海の道」といった交易ルートが確立されたことから、交通路が発達し、外国へと仏典を求めに赴く僧侶が見られた。
・__(602年〜664年)
行きも帰りも陸路。ハルシャ=ヴァルダナ王時代の北インドを訪れ、ナーランダー僧院で学んだ。帰国後は太宗・高宗の支援を受けて長安で仏典の漢訳にあたった。インド旅行記としての『_____』が有名。
・__(635〜713年)
行きも帰りも海路。インドを訪れ、帰国途中スマトラ島の___________に立ち寄った。その時の様子を記した『_______』で知られる。帰国後、則天武后の支援を受けて仏典の漢訳にあたった。

第2課 東アジア史2(隋唐~宋) 文化史 7世紀   Evagreen

○儒学
唐初期の儒学は低調だった。太宗は経書の解釈の標準を示すために__⚠️らに科挙の公式テキスト『___⚠️』を作らせたが,科挙の受験者はこの解釈に従って暗記するだけになり,かえって思想を束縛して学問の進歩を妨げる結果になった。唐中期以降,韓愈が儒学の復興を唱え,宋学(宋代以降に新たに大成される儒学)の源流となった。

第2課 東アジア史2(隋唐~宋) 文化史   Evagreen

○芸術
・__⚠️(557~641年)
初唐の書道家で「初唐の三大家」の一人。唐の太宗の時代に活躍した。代表作は『九成宮醴泉銘』。開元通宝の文字は彼による
·虞世南(558~638年)
初唐の書道家で,「初唐の三大家」の一人。太宗に仕えた。代表作は『孔子廟堂碑』。
·褚遂良(596~658年)
初唐の書道家で,「初唐の三大家」の一人。太宗に仕えた。高宗が皇后王氏を廃して武氏(則天武后)を皇后にすることに反対

・__⚠️(709~785年)
中唐の書家·学者。楷書を大成した。科挙官僚として地方長官などを歴任し、安史の乱では義勇軍を組織して安禄山と戦った。
・__⚠️(8世紀ごろ)
中唐の画家。玄宗に仕え、山水画を大成したことから『画聖』と呼ばれる。

第2課 東アジア史2(隋唐~宋) 文化史   Evagreen

・__⚠️
上記3人より後の中唐の詩人。代表作は『長恨歌』で,玄宗と楊貴妃の恋について記している。白居易の詩集である『白氏文集』は日本でも貴族層を中心に広く読まれ,紫式部などにも影響を与えた。科挙に合格した高級官僚でもあった。
・_⚠️(768~824年)
六朝以来の四六駢個体は形式を重んじるばかりで文章の内容がおろそかになっているとして批判し,漢代以前の質実な文体である「古文」を復興しようとした。また道教や仏教の隆盛に対抗して儒教の復古を唱えた。「唐宋八大家」の一人。
・__⚠️(773~819年)
韓愈と同様に,古文の復興を主張した。唐宋八大家(唐の韓愈,柳宗元,宋の欧陽脩,蘇轼、蘇辙、曾鞏、王安石)の一人。

第2課 東アジア史2(隋唐~宋) 文化史   Evagreen

○文学
唐代の文学の中心は詩である。科挙で作詩が重要視されたことによって「_⚠️」として隆盛した。律詩·絶句の形式も唐代に完成した。
・_⚠️(701~762年)
盛唐の詩人の代表格。七言絶句を得意とし「詩仙」と称された。
・_⚠️(712~770年)
盛唐の詩人。律詩を得意とし「時聖」と称された。「国敗れて山河あり」で始まる『春望』が有名。安史の乱に軍人として参加した。
・_⚠️(701~761年?)
李白や杜甫と同時期に活躍した詩人。画家(山水画)としても有名で「詩中に画あり,画中に詩あり」と称された。

第2課 東アジア史2(隋唐~宋) 文化史   Evagreen

○西方の影響
·長江下流域ではサトウキビが栽培され,インドの優れた技術を学んで製糖法が改良された。
·茶の栽培が盛んになり,唐代の半ばに飲茶が広く流行すると,それに伴って窯業が盛んになった。とくに唐代にはイランの2影響を受けて釉薬(うわぐすり,陶器の表面のつるつるしているところ)に多彩な色が使われ🤷‍♂️🤷🏻と呼ばれた。
·ベルシア起源の球戯で,馬に乗って相手ゴールを狙う__が貴族の間で流行した。
·ソグド人(陸路による東西交易)やアラブ人·イラン人(主に海路交易)の盛んな来朝にともない,祆教(ゾロアスター教)·マニ教·景教(ネストリウス派キリスト教)のいわゆる「三夷教」や回教(イスラーム教)などの西方の諸宗教が伝来した。都市部には大秦寺(ネストリウス派教会)や清真寺(イスラーム教のモスク)などが建てられ,781年にはイスラーム教の伝来について記した______🤷‍♂️🤷🏻が建てられた。
→845年の武宗による「会昌の廃仏」は仏教だけでなく外来宗教全般を取り締まったため,これらの宗教も衰退した。

第2課 東アジア史2(隋唐~宋) 文化史   Evagreen

1-3 隋唐の文化
隋唐時代には,長らく南北に分裂していた中国が統一されたことで,北朝の文化と南朝の文化が融合した新たな文化が隆盛した。また,シルクロードや「海の道」を通じて西方の文化が流入し,国際的な文化を形成した。

第2課 東アジア史2(隋唐~宋) 文化史   Evagreen

·文化
○ヒンドゥー教
●成立
グブタ朝期にヒンドゥー教が確立したとされる。ヒンドゥー教は,特定の始祖は持たず,アーリア人の伝統的なパラモン教や民間信仰,仏教,ジャイナ教の要素を取り込んで成立した。
●神
・プラフマー:パラモン教の主神。そのままヒンドゥー教でも信仰を集めた。
・___:破壊の神。民衆の間で広く信仰されていた。
・_____:慈悲の神。民衆の間で広く信仰されていた。
●教典
バラモン教を基盤としてヴァルナの原理を継承し,身分制度を維持した。『____』によって各ヴァルナに属する人々の生活規範が明確に規定された。
○仏教
ヒンドゥー教だけでなく,仏教も国王や貴族の保護を受けた。5世紀後半には,国王によって ________が建設され,仏教の理論研究の世界的中心地となった。その一方,民衆の多くはヒンドゥー教を信仰したため,民衆の間には浸透しなくなっていき,徐々に国王や貴族もヒンドゥー教に乗り換えていった。

世界史第4課 文化史   Evagreen

○道教⚠️
源流は後漢末に勃興した五斗米道であり,「無為自然」を説く老荘思想のほかに不老不死を説く____や民間信仰が結合して成立した。北魏の___が新天師道を開いて,道教を大成し,太武帝の信任をえて信徒を増やした。道教の特徴としては,不老不死や現世における幸福の追求といった現世利益的側面がある。

第1課 東アジア史1 文化史   Evagreen

○仏教⚠️
中国に仏教が伝来したのは前漢末から後漢初にかけてだが,本格的に流行し始めたのは魏晋南北朝時代。特に南北朝時代では,北朝と南朝の双方で仏教が発展を遂げた。南北朝時代の仏教は当時の中国において先進的な知識であり,南朝·北朝ともに上流階級に浸透した。また,仏僧は西域やインドから渡来した人々を中心に,知識人として皇帝から重用された。
・___
4世紀初頭に西域の亀茲から西晋に渡来した。西晋滅亡後は五胡十六国の一つである後趙に仕えた。主に寺院の建設と布教に携わった。
・___
4世紀後半から5世紀初頭にかけて,五胡十六国の後涼·後楽に仕え,主に仏典のサンスクリット語から漢文への翻訳にあたった。
・___(337ごろ~422年ごろ)
東晋時代の僧。399年に長安を出発して陸路でグプタ朝期のインドに渡って仏典を集め,海路で中国に帰着した。この時の旅行記が『仏国記」である。帰国後は建康で仏典の翻訳につとめた。
·石窟寺院
北魏時代の__·__の二大石窟寺院が有名だが,石窟寺院の建造は華北で盛んに行われた。__の莫高窟も有名。

第1課 東アジア史1 文化史   Evagreen

Oその他の学問⚠️
·酈道元(469頃~527年)
北魏の地理学者。黄河を始め,中国各地に河川とその流域について詳細に記した『___」40巻を著した。
·賈思勰(生没年不詳)
北魏の農学者。戦乱で荒廃した華北の農業を立て直すために『____』を著した。
・__(233~297年)
西晋の歴史家。『三国志』を著す。
·范曄(398~445年)
宋の歴史家,『後漢書』を著す。

第1課 東アジア史1 文化史   Evagreen

○思想⚠️
·阮籍(210~263年)
魏の政治家で,司馬昭の時に仕官した。「_____」の一人。老荘思想の影響を強く受ける。代表的な著に『詠懐詩』がある。

第1課 東アジア史1 文化史   Evagreen

○芸術⚠️
·顧愷之(344頃-408年頃)
東晋の画家。中国絵面の祖と言われる。代表作としては「____」が知られている。
・___(307頃~365年頃)
東晋の書家。書道を大成し,のちに「書聖」と呼ばれる人物。代表作としては『聞亭序』が挙げられる。子の王献之も有名な書家。

第1課 東アジア史1 文化史   Evagreen

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